2005年 05月 16日
一分、一秒。
南の島から帰って来たjujuに、名古屋から来たヒカルちゃんのルームメイト、minaちゃんを紹介。
今回の旅で、jujuは、人との関わりについて考えたり、生命について考えたり、転機的なお話があったり、というシチュエーションに遭遇したとのこと。 見せてもらった写真のプリントには、琉球の王冠や、建物、人、風景の中に、浜辺で横たわった白い犬の死体の写真も。 通り過ぎることもできたけれど、やっぱり見たい、という気持ちもあって、撮ったのだそうです。 実感がわくことはあまりないけれど、死に関する興味は、誰の中にもありますよね。 死に絶えた犬の近くで、漁業をしているおじさんたち。 もう、死んでしまった生き物と、それでも変わらないいつもの風景が同時に存在する時間を、感じたとのことでした。 カタツムリが大量にいる地帯では、一匹踏んでしまって、心の中でごめんなさい、と言った、とjuju。 生命があって、死に行く生命もあって、自分が踏んでしまう生命もあって。。 生命について考えつつ、また、自分とはまったく違う感性や考え方を持つ人々と会ったことで、人との関わりについても考えたのだそうです。 それに関して、minaちゃんは、最近は、二度と来ない今、この瞬間を、いかに全力で、完全ではないにしても、自分の中のベストの状態で生きられるか、を常に考えるようにしている、とお話してくれました。 沖縄でも、一人でゴミゼロした、というjujuは、片づけをする時、考えるのだそうです。 人は、生まれてから、いったいどれだけのものを、所持するのだろう、と。 買って、捨てて、買って、捨てて。。。 「あったらあったで大丈夫だし、なければなくても生きられたら、いちばん安定するし、強いのだろうね。」 とminaちゃん。 本当にそうですね。 もしも世界が100人の村だったら、が、最近放送されたのを、jujuも見ていて、さらに考えたそうです。自分たちは甘い、という部分と、社会的な問題と。 平気で食べ物を捨ててしまうような世界では、働けない、というjujuに、そう思えるということも重要、とminaちゃん。 minaちゃんは、ご飯はだいたい自分で作るようにしていて、余らないようにはしているのだけれど、余ったときは、鳥にあげたり、食べられるものは、外で暮らしている方々にお渡ししたりしていたのだそうです。 ありがとう、と言える、ということも、minaちゃんにとってはある意味すごいことで、感謝の気持ちを、自分自身ももっと持たなきゃいけない、と気づかせられる、とのことでした。 minaちゃんは、高校生の頃、何のために生きているのか、を考えて、夏休み中そればかり考えていた時期があったのだそうです。 生きる目的・目標と、両者の利益になる関係性は、一生の課題だけれど、少しでもそれに近づけるように頑張りたい、とお話してくれました。 この日、jujuとminaちゃんはお友達になりました。minaちゃんは名古屋に帰るけれど、また、機会がある時に会えると良いですね。今度は夏休みに来るとのことでした。 この日のお天気と、jujuの心はシンクロしたもよう。晴れ渡った空のように、広がっていきたいですね。 近々星回りを見たり、かりんちゃんとのヨガ、を予定。 その後、かりんちゃんと共に、インドの文化をお勉強していたあじゃぱのメンバーと再会。 1年生だった二人は、すっかり成長されていました。 この時代に生きる学生も、疲れがたまる、というお話も。 やっぱりヨガ時代、ですね。かりんちゃん。
by ami-cosmo
| 2005-05-16 03:22
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