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警戒心

大乗仏典を貸してくれた方からの数日前のメールに、

“ダライラマの言葉の中に警戒心の強い人でも心をしずめて読めば驚くような事が起こるでしょう。とありますが、その警戒心こそが前世からのカルマであり徳のなさなのです。その警戒心とは、疑念につながります。
amiちゃんが仏典を読まないのも、警戒心の現れだと思います
偉大な生命体は、本当の愛とは、嫌われようが、罵倒されようが相手の真の幸福を祈り、努力する行為と言っていましたが、悲しいことに私達にはその愛のかけらもないのです。私達のできる愛とは、せいぜい友人の幸福を祈り助言することぐら
いです。
(一部省略)
最後に仏典に乗っている内容は、全ての如来の悟りを現したものであり、すべての如来とはすべての魂を救うことを願っているのだから、仏典を読むことが最高の徳になることを忘れずに。”

というメッセージを頂きました。


わたしは正直、この言葉が、最初はよくわからなかったのですが、今日、一週間を振り返っていた時に、ふと、
美しいものや、真実だと直感するもの、ためになること、偉大な人に対して、わかっているのに委ねない近づけないという意味での警戒心があって、それが徳のなさを表しているのだということに初めて気づきました。

素晴らしいものに対して、潜在的にそうじゃなかったらとかうまくいかなかったらという警戒心を持つことで、逆に嫌な方へ自分を追いやることが今まであった気がします。
そういう心の壁から解放されて、その対象の持つ、事象の持つ実現する可能性に飛び込めた時は、驚く程の結果と変化と成長があったということを思い出しました。

例えばそれは瞑想で、神々の世界が広がると、あまりの上昇気流と思考のスピードの速さについていけなくなりそうで、怠惰さがでると、集中をとぎれさせてしまったりします。
そこで、本来何よりも懐かしく、自分自身の本質に近いその世界に集中することで、また意識が広がります。

現実的なことでは、12歳の時、知っている人が誰もいない、来たことのない場所に長期間滞在して、武道の合宿に参加したことがあったのですが、マイナスな心の要素を捨てきることで、
すべてが貴重で喜びに満ちていて、大切な経験となりました。

少なからず、自分を向上させるものに対する警戒心はなくし、
自分を放棄する、自己を進化させるものの中に身を投じることは、成長する上では欠かすことのできない条件なのかもしれません。

その事実に気づけたことは非常に貴重でした。

自分は今は何もしていないから、と言いつつも、いつも重要なことに気づかせてくれるVさんに感謝です。
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by ami-cosmo | 2006-01-21 00:39 | 気づき 超えること。