2006年 02月 08日
命の時間
2年くらい前から知っているお友達が、一酸化中毒で亡くなられたとのご連絡。
まだ、ご本人にお会いしたことはないのですが、 わたしが通っていたお部屋によくいらしていた主婦の方で、 いつもみんなに挨拶してくれて、お話を聞いてあげたり、 みんなのお母さん的存在でした。 常に明るい文章だったので、そんなに悩んでいるなんて、全然わたしは知らなかったのだけれど、 わたしのお友達には、いろいろ相談していたみたいで、 最後の最後まで、近況を伝えていたようでした。 お友達は自分の一言が原因で、と自分を責めるけれど、 多分そうではないのだと思います。 小さい頃から過酷な人生を歩まれてきたその人は、 何も知らないわたしたちには優しさを与えて、 家庭では大変苦しまれていたのでしょう。 模索しても見つからないまま、死を選んでしまったから、 もっと早く何かしてあげれば、とも思いますが、 決してみんなには弱音を言わない方でした。 わたしが思うには、お友達が最後まで相談に乗ってあげていたこと、それはその人にとって、すごく安心できたと思うし、 その存在がなければ、もっと苦しかったかもしれない。 なぜ生まれてきたのか、どんなことで、良かったと思えるのか、 その答えが早く見つかったなら、そう強く思っていたことが今になって伝わって来ました。 今回の事をご連絡いただいて、だからこそ、自分自身が感じた、 本当に素晴らしいこと、真実だと思ったこと、 心が解放されたこと、元気になったこと、 そういうことはできる限り、伝えていけたらいいなって思いました。 お友達は今、とても無常を感じているようです。 自分を責めず、その分生きてほしいと思います。 会ったことはないけれど、受けた恩恵は計り知れないから、 わたしも死者に読むと良いとされている経典を、 近くにはいないけれど読めたら良いなと思います。 その魂が、この世界で経験した、すべての苦しみから解放されて、 平安な世界に安らぐことができますように。
by ami-cosmo
| 2006-02-08 18:57
| 近況・日常
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