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雑念

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昨夜、みんなでお話を伺っていて、わかったこと。

雑念のはらい方には二つの方法がある。

一つは放っておく方法。
もう一つは、解析してバラバラに分解する方法。



外に出た時、音楽が流れていたら、その曲のどういう部分で心が動くか観察する。



電車に乗ったら、つり革広告のどういう部分を見ているかを観察する。

雑念に流されて、それに集中すると、心、意識はそれでいっぱいになるから、夢で威光放つ存在は見ない、見たい夢は見れない、
夢をコントロールできない。

とらわれが出たらそこで捨断、あるいは捧げる瞑想。
嫌悪が出たら、そこで悔い改める瞑想。




一週間に一度の内側を見つめる時間に、いつも思うけれど、
必ず、わたしが考えていることや書いた内容についてお話してくださる。
まるで答えを提供してくださっているかのように。
やっぱり心が透明な方というのは、それだけ鏡のように映し出すのかな。

雑念多すぎる。

ある日を境に、電柱の隣に佇んでいるオイルヒーター。
「オイルヒーター!!」とわたしが歓声を上げたら、
「そんなの拾わないよ。」といわれて。

行くたびに、オイルヒーターはわたしの方を見て電柱の横に佇んでいるのです。あんなに不自然な場所で。
まるでわたしに拾われるのを待っているかのように。

オイルヒーターって、暖かいのですよね。
中でオイルが循環して、すごく空気が暖かくなるの。
電気を使うのが難点ですが。。


と、もうそういうこと、考えないようにしなきゃ。


すべての要素を、光に繋げること。
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by ami-cosmo | 2006-02-11 08:50 | 東洋哲学