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生き物を慈しむこと


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昨日、神田を歩いていたら、突然首に紐をつけて吊された、数十羽のかもが視界に飛び込んできました。

最初、あまりの衝撃で、
思わず叫んで後ずさりしてしまいましたが、
信頼している人に聞いてみると、それはかも鍋屋さんのようでした。
少し腐らせた方が味が出るという考え方があるそうで、
あたり一面に、腐敗臭のような独特な臭いが漂っています。
わたしは真っ先に、これを小さな子供が見たら、どう思うのだろう、と感じました。

帰ってからお姉様に聞いてみると、「海外では例えばブタを見たら、あのブタはおいしそうだから、殺して食べたい、という発想が普通で、表に出すことはいとわないけれど、日本は残虐に見えるものはなるべく出さないのに、珍しいね。」とのことでした。

あれは、食べるためのものだから、お肉としてとったといういのはわかるのですが、もしもおしえてくれる大人がいない状況で、小さいな子供達があの姿を見たら、ものすごいショックを受けるか、昔の矢がものように、理由なく傷つけてもいいと思ってしまわないか心配でした。
あんなに生命が犠牲になっているのだから、わたしたちは生かされているのだから、食べ物を大切にし、感謝しようと思えるくらい、
心が成熟していれば良いのかもしれないですが。
2才や3才、5才くらいで、何もわからない大人に囲まれていたら
そう思える確率は、皆無に等しいのではないかと思います。

また、他の生命体に対して無神経になることが、いじめ・虐待・殺人・虐殺、果ては戦争にまで繋がっていくような気がしてなりません。

植物の声が聞こえますか?というトピックが立っていて思い出したのですが、
本当に生き物を大切にし、慈しむ人々は、植物や種の生命も大切にしますね。
むやみに採ったりはしないし、傷つけることもしません。
わたしも小学校や中学校の草刈りなどは、何らかの理由をつけて極力参加しないようにしていた記憶があります。

木や、植物たちは、わたしたちになくてはならないエネルギーを与えてくれていて、光の粒を絶えず与えてくれています。
「自ら光合成し、わたしたちに酸素を与えて、資源になり、食べ物になり、何も文句を言わない植物は、何て高度な生命体なのだろう。」
とおっしゃっていた先生がいらっしゃいましたが、本当にわたしたちは生き物に支えられていると思います。

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以前、木とお話ができるお姉様に公園を守っている木の前に案内していただいた時、あなたたちを傷つけてごめんなさい、と思っていたら、「人間がわるいのではなくて、人間がわたしたちにしたこと、業がわるいのだよ。」というようなインスピレーションを得たことがありました。

殺生をせず、生き物を慈しみ、感謝を持って、共存できたらどんなに素晴らしいことだろう、とわたしは思います。

そして、この文章を読んでくださった方が、まず身の回りのペットから優しくしてあげる、あるいは、お家にやって来た虫さんを、殺さず外に逃がしてあげる心がけをしてくださったなら、わたしはとても嬉しく思います。


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by ami-cosmo | 2006-02-20 11:34 | 東洋哲学