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ミトラ

昨日聞いたお話。
威光放つ生命体は、ミトラであり、ミスラであり、弥勒である、ということ。

ミトラの語源を調べると、ものを測る単位、尺度としてつかわれていたり、友・友情、という意味合いがあるのだそう。


ミトラとは、鏡、わたしたちを映し出す存在。
わたしたちは、鏡を見なければ、自分の姿が見れず、内側を知ることができない。
ミトラを知るということは、自分を知るということ。

同時に、鏡だから、わたしたちが投げかけるものが、
そのまま反射される存在。

人間として見るならば、その反映が自分に返ってきて、
神として見るならば、その反映が自分に返ってくる。


ミトラの存在というものは、すべての源泉で、
キリスト教などの儀式も、そこからきている。

また、フリーメーソンの一番最上階に位置するのもミトラ。

ゾロアスター教のアフラマズターは、戦う神。
神話の中では悪と闘い、その闘いに破れ、ばらばらに分解される。
その微塵のひとつひとつがわたしたちだといわれている。

ゾロアスター教は、民族思想が強く、悪は悪と分ける主義。

それに対してミトラは、アフラマズターと戦う悪神を許し、
フリーメーソンの7人の天使の一人においていることになっている。

神にはふたつあって、戦う神と、救う神がいる。

そのふたつが、ヨーガの系統の、バクティヨーガとカルマヨーガに通じているかもしれない、というお話。

わたしたちがミトラにたどりつきたいとき、例えば、天体で一番明るい星であるシリウスを目指したい時、ふたつのことが必要になる。

それはそこまでたどり着けるだけの力、そして、0.1もずれのない方向性、ベクトル。

力があっても、寸分でもずれていたら、果てしない宇宙をずっとさまよい続けなければならず、
方向性があっても、力がなかったら、永遠にたどり着けない。

その力となるものがカルマヨーガで、例えば職場で、まわりの人のために、自分自身を犠牲にする、など。
すごく苦しいことを伴うけれど、それによって、力がつく。

方向性を定めるのが、バクティヨーガで、一つの点に集中することで、その方向に向かう。

その両方が合わさって、ミトラにたどり着けるのではないか、というお話。


ミトラって、神智学であり、タロットの元になっているミトラ伝説とも関係してるのかな、やっぱり。

あの伝説が、東洋の十二因縁(魂の落下のプロセス)を逆流していく流れの話で、それがタロットを紐解くとわかると聞いたことがありました。

0.1も違わない方向性と、力を蓄えることで、早くミトラにたどり着きたいな。
by ami-cosmo | 2006-03-06 10:07 | 東洋哲学