2006年 03月 06日
ミトラ
昨日聞いたお話。
威光放つ生命体は、ミトラであり、ミスラであり、弥勒である、ということ。 ミトラの語源を調べると、ものを測る単位、尺度としてつかわれていたり、友・友情、という意味合いがあるのだそう。 ミトラとは、鏡、わたしたちを映し出す存在。 わたしたちは、鏡を見なければ、自分の姿が見れず、内側を知ることができない。 ミトラを知るということは、自分を知るということ。 同時に、鏡だから、わたしたちが投げかけるものが、 そのまま反射される存在。 人間として見るならば、その反映が自分に返ってきて、 神として見るならば、その反映が自分に返ってくる。 ミトラの存在というものは、すべての源泉で、 キリスト教などの儀式も、そこからきている。 また、フリーメーソンの一番最上階に位置するのもミトラ。 ゾロアスター教のアフラマズターは、戦う神。 神話の中では悪と闘い、その闘いに破れ、ばらばらに分解される。 その微塵のひとつひとつがわたしたちだといわれている。 ゾロアスター教は、民族思想が強く、悪は悪と分ける主義。 それに対してミトラは、アフラマズターと戦う悪神を許し、 フリーメーソンの7人の天使の一人においていることになっている。 神にはふたつあって、戦う神と、救う神がいる。 そのふたつが、ヨーガの系統の、バクティヨーガとカルマヨーガに通じているかもしれない、というお話。 わたしたちがミトラにたどりつきたいとき、例えば、天体で一番明るい星であるシリウスを目指したい時、ふたつのことが必要になる。 それはそこまでたどり着けるだけの力、そして、0.1もずれのない方向性、ベクトル。 力があっても、寸分でもずれていたら、果てしない宇宙をずっとさまよい続けなければならず、 方向性があっても、力がなかったら、永遠にたどり着けない。 その力となるものがカルマヨーガで、例えば職場で、まわりの人のために、自分自身を犠牲にする、など。 すごく苦しいことを伴うけれど、それによって、力がつく。 方向性を定めるのが、バクティヨーガで、一つの点に集中することで、その方向に向かう。 その両方が合わさって、ミトラにたどり着けるのではないか、というお話。 ミトラって、神智学であり、タロットの元になっているミトラ伝説とも関係してるのかな、やっぱり。 あの伝説が、東洋の十二因縁(魂の落下のプロセス)を逆流していく流れの話で、それがタロットを紐解くとわかると聞いたことがありました。 0.1も違わない方向性と、力を蓄えることで、早くミトラにたどり着きたいな。
by ami-cosmo
| 2006-03-06 10:07
| 東洋哲学
|