ブログトップ

わたしとは、何か。


b0023052_3142166.jpg
お風呂で瞑想しながら、心を静かに見渡してみる。


自分とは、何か。


この存在そのものは、果たして、実体のあるものなのだろうか。

誰かがわたしの名前を呼ぶ。

その瞬間に、わたしがわたしという存在であるかのように錯覚する。


自分とは、何か。


自己紹介をする。


その瞬間に、わたしがまるでわたしであるかのように錯覚する。


自分とは、何か。


この身体。

心臓?  それだけではわたしとは言えない。

手足。  それだけではわたしとは言えない。

顔。   それだけではわたしとは言えない。


五感。

目や耳、触覚や味覚。 それがすべてではない。


心。  心も常に変化する。 わたしとは言えない。


記憶。 その積み重ねが、わたしとも言えない。


わたしだと呼ばれ、認識するものが、
さもわたしであるかのように錯覚するから、
そこからとらわれが生じて、苦しみが生じる。


b0023052_3144580.jpg
宇宙の始まりと同時に、プログラムとして存在した、
無数の同じ存在と等しいはずだった、わたし。


きっと本質は何もかわっていない。


そこに感情移入することに、意味はなくて、


ただ、その過程でかけてきたものを補い、補修し、
ただ、その過程でへばりついたものを、そぎ落とす。


そして、本来の光に還ること。
わたし、と同じであるたくさんのわたし、が、
その光に還ることを願うこと。


それが、その存在の意味するところ、それだけかもしれない。


わたしたちは遠い過去から、たくさんの錯覚を起こしている。
その錯覚が、たくさんの仮想をつくりだし、
いろんなものを見えなくさせて、わからなくなっている。



目を瞑ると、そこは意識の新緑のよう。
湖面があって、覗き込むと、自分自身を映し出す鏡になっている。


瞑想や、心を見つめることは、まさに、鏡を見ることなのかもしれない。

天才や、輝きある存在が、沐浴や自らを洗うことを大切にしたように、わたしも自分を洗い流すように、その時間を大切にしよう、
と、再び思いました。


すべての気づきと、すべての存在、神々のご加護に感謝します。
[PR]
by ami-cosmo | 2006-05-28 08:52 | 気づき 超えること。