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生まれ変わりの発想 、チベット死者の書の世界観。

先日、アクション映画俳優目指す、功夫天下のお友達から質問が来ました。
K先生の東洋哲学講座で、ブッダの前世のお話が出てきたのだけれど、息子が毒蛇に噛まれて亡くなっても悲しまず、またその家族も悲しまなかったというお話が出てきたらしいんですね。 それで、それは人間らしくない、機械のような感情なのではないか、という印象をもったということでした。

それに関して、わたしはわたしなりにそのお話から読み取れる輪廻の発想についての概念と、愛と愛情についての考えをお返事として出しました。
その文をこちらでも転載しておきます。

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チベット死者の書を見たことあるかな。
仏教では、わたしたちは死んだら終わりではなくて、魂はどこかの世界に49日間の間に生まれ変わるって言われているの。

だからきっと、仏典の世界では、息子を大切に思っていなかったのではなくて、もう魂が旅立った後、無常の身体である抜け殻に対して悲しんでも仕方がないということをいっているので
はないかな。
インドやチベットでは、みんなこの現実で生きているうちから善の行いや心の働きを積み重ねていて、死をこわいもの、として認識していないみたいだね。
転生先はすべてこの現実での行いによって決まるから、ある意味、この世界はジャンプ台ともいえる。
そして、高い世界に魂がいこうとしている場合、その近くで泣いたりすると、魂は安全に中間状態をわたることが困難になってしまうようなのです。
ということは、何が一番、対象にとって、メリットがあるかと
いうと、悲しまず、高い世界へ旅立つことを祈ることなんだよね。

日本の概念とは180度違うけれど、それをしているのが、チベットのラマなんだと思う。
死者の耳元で49日間の間、死者が迷わずに高い世界へ至れる
ように、不安にならないように、道案内をしてあげるの。それがチベットに伝わる埋蔵経、バルドトドゥルなんだよね。
日本では黒い服を着るけれど、インドやチベットの世界観では黒は低い世界の色とされていて、死後の旅に出ている魂のそばでは、できるだけきれいな色を着るほうが良い影響があると考えられているみたい。
愛情と愛は違うといわるけれど、悲しいから泣く、ということに関して、
自分が悲しいから泣く、離れたくないから泣く、という場合は、やっぱり本当に対象のため、ではないんだよね。
本当にその人を大切に思うなら、その対象が迷わずに高い世界
に旅立てるように祈ることの方が、最善を尽くすほうが、愛と言えるのかもしれないとわたしは思うの。
だから、わたしはわたしが死後の旅に出たら、力あるラマ
に導いてほしいと思うし、まわりの人には泣かないで祈っていてほしいと思う。
その方が動揺せずに選択できるから、またみんなのそばに行けるかもしれないしね。

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質問へのお返事なので、簡略化されていますが、日本とチベットにおける死についての概念と生についての概念は、根本的に違う、とわたしは考えています。
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by ami-cosmo | 2005-05-02 21:19 | 東洋哲学