2004年 10月 23日
外側の自分と内側の自分。
Insightful
自分を認める価値基準を、外側に持っているような人格を採用した人間は、自尊心を回復させるために他者を否定し、相対的に自分を満たそうとする。しかし、本質的に彼らは自分を認めるためにそれをしているので、いくら否定しても自分は満たされない。ただ、葛藤から一次的に逃れる手段を得ているにすぎない。 わたしたちは、絶えず何かとの比較によって、価値を見出そうとしますね。 でも、それは相対的なものだから、当然安定はしません。 もしも、わたしたちの否定している対象や、比べている対象が、外側にいる“自分そのもの”だと気づいた時、多くの人が今抱えている悩みから解放されるはずです。 あの人はこうだから悪い、あの人はできない、と他者を否定すると、その時点で未来における自分の可能性まで否定し、見失うことになるんですね。 例えばテストで赤点をとっている人がいる。そこで、あの人たちはだめだから、という認識を持ったとしますね。 そうすると、今度、自分が何らかの条件によって同じシチュエーションになった時、赤点を取る人=だめな人。という公式がなりたっているがために、『自分はだめなんだ。』と思うことになります。 もしもこの時、『あの人たちは赤点をとっている。でもきっと、もっと学習と努力を重ねることで、必ずや変化できるだろう。』 と考えることができるなら、自らが同じシチュエーションを迎えたとしても、『わたしは赤点をとってしまった。でも、もっと学習と努力を重ねることで、必ずや変化できる。』と考えることができます。 つまりここで屈辱が生起する、ということは、自らが他に対して屈辱を与えているから、ということに他ならないのでしょう。 だから目の前にいる人、まわりにいる対象は、未来の自分であり、過去の自分の投影であり、そして、体は違うかもしれないけれど、まさに今ここに存在している自分、その外側の自分、ということになるのではないでしょうか。 他者の失敗に関して、敏感に反応し、他者の欠点に敏感な人は、自らの失敗をせめ、欠点をマイナスに捉えます。 他の誰も否定していないけれど、それは、過去において、外側のわたし、を見た内側のわたし、が、対象に対する否定を積み重ねたことによって生じる現象なのだと思います。 ユートピアの原理は、まず他者を認めることによって生み出されてくるような気がします。 今、他者を否定し、未来における自らの苦しみの原因を作っている多くの人が、早く内側の自分と外側の自分に気づいて、その統合を図れることを、心からお祈りします。
by ami-cosmo
| 2004-10-23 03:40
| トランスパーソナル心理学
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