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愛について

11/2 思索

親愛なる とは、信頼し、尊敬し、親友のように自分と同じくらい、時にはそれ以上大切にすることだと思う。

また一般的な恋愛・情は偏愛であり、偽りの愛だと思います。
自分が寂しいから、満たされたいから、という背景がありますね。
(もちろんこの愛に対して高度なとらえ方をしている場合は別です。)

最愛とは信仰のことだと思う。自らの人生、生命のすべてを捧げること。
これは、対象が神でないと、あるいは対象に何らかの神秘性を見出せない限りあり得ない事ではないかと思います。

対象の成長を願う愛、あるいは平等心としての博愛は、すべてを自分と同じくらい、もしかしたら自分の事はさておき、大切にして愛すること。


わたし自身は、神に対する最愛に、人々に対する親愛に、すべての 生きとし生きる動植物への博愛に、わたしのすべてを還元したい、そう思っています。
それによってすべてが本質に還元されることのお手伝いをさせていただく事が、最大のテーマのような気がします。

いつか、お友達のお友達が勝手に占ってくれた占星学鑑定では、
『あなたは救いようが無いくらいのロマンチスト。あなたの理想の対象はこの世にいません。』
と書かれていました。 この時点で一般的には終わっているけれど、当時は、
(でも、ということはあの世にはいるということなんだ。)と思い、至福感が少なからず湧いたわたしは、やっぱり変わっているのかもしれない。。。
ただ、別の占星学鑑定では、恋愛によって、人生が180度変わるような幸運を得る、とか書いてあったけれども。

人に対して理想を求めるよりも、まず自らが一歩でもその状態を体現すること、広げることが最重要項目だと考えています。

伝えたいと思うことよりも祈ること。
どこまでできているかばかり考えるよりも、どこまで到達したいかに集中すること。

時にわたしが意図的に痛みを与えてしまうことがあるとしたら、それは嫌いだからではなく、自分自身の中で最も大切だと思えるからしていること。

例えばその人がお腹がすいていても、目の前のお饅頭に毒が入っているとしたら、わたしはそのお饅頭を何とかして隠します。
例えば対象が麻薬中毒一歩手前の状態で、もがきながら、もっと、と求めていても、わたしは最後まで別の方法をとって解決したいと願います。

それは痛みを伴うかもしれないけれど、本当に大切にする上で生起する試練だと思うのです。 
母親は、自分自身の子供がどういう子供でも、どんな状態になっても、何かを練習している課程でできないことがあっても、いつかは変わる、できるようになる、と信じてその成長を願い育みますね。 愛とは忍耐だとどこかで聞いたことがあるけれど、そうなのかもしれないとも思ったりします。

そこにおいて、自ら放棄せず、対象がどんな状態でも信じて、心を強くして見守り、最も最善の方法で、安らぎながら超えられる方法を見出すことが智慧であり、愛ではないかと思うんですね。
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by ami-cosmo | 2004-11-02 10:29 | 意識の拡大