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カテゴリ:意識の拡大( 14 )

影響力。


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何日か前、影響力について考えていました。

どうも自分自身は小さい頃から、
まわりに影響を与えやすい人のようです。

例えば、小さい頃ならば、

みんなが虫を殺さなくなったこと。




小学生の頃、山で大きな声でさけぶというのを繰り返していたら、
親友が真似し始めて、果ては学校で叫び、先生におこられたこと。

最近では、

花が好きで、花の写真ばかり撮っていたら、
花が嫌いな人が、花の写真を撮るようになったこと。

とくに甘いものが好きじゃない人が、
お菓子作りやケーキのことばかり話していたら、
大のお菓子好きになったこと。

絵を描かない人が、絵を描くようになったこと。

地球環境に興味を持ったり、
心理学に興味を持ったり、

など、他にもいろいろ出てきます。

感謝の気持ちや優しい気持ちで満ちている時は、
それが伝わって、まわりの人にも安らいでもらうことができる。

同様に、その逆もあって、気分の優れない時は、
ダイレクトにそれが影響する。
疲れていたりすると、お世話になっている方への気遣いさえできなくなってしまって、
とても悲しませてしまうこともありました。

そんな時、自分の疲れをとったり、
浄化をはかることが、結果的には安らぎとか、
優しさを与えられることに繋がるんだなと実感します。

試行錯誤なわたしにでも、
「いてくれてありがとう。
とってもたくさんの良いパワーをもらっているよ。」
と、何気ないいつもの帰り道で言われた言葉。

もし誰かにとっても、そんな存在になれているなら、
と思うと、とてもあり難いです。
こちらこそ、ありがとう。

そして、プラスを受け取ってくださる方々のためにも、
疲れをためず、元気を充電しよう、と思うのでした。

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影響は、ひきだしと似ていて、
みんながそれぞれ持っているひきだしの、
どの部分をひきだすかで、
その影響の意味合いが変わってくるのかもしれません。

そういえば小さい頃、宇宙と心をテーマに書いた絵は、
たくさんの引き出しと星たちでした。

人の中に眠る、
素敵な可能性や、
心の輝きのひきだしを、
ひきだせるようになりたいな、と思いました。

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by ami-cosmo | 2007-11-17 00:05 | 意識の拡大

「 The Secret 」

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お友達がとても良いと紹介してくださったお話、「 The Secret 」 。
本当にとても良いです。
少し前にDVDが日本で公開になって、
書籍も出版されたようです。


過去の賢者や、数少ない人たちが理解し、
使っていた引き寄せの法則。
わたしたちが心で思い描いたことが、
まさに起きている、ということを、実例を挙げて紹介しています。

この映画では、

秘密の使い方、 強力なプロセス 、お金に関する秘密、  

人間関係に関する秘密 、健康に関する秘密、 世の中に関する秘密  

自分に関する秘密、人生に関する秘密

という順で紹介されています。  

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職場の人にDVD化したものを差し上げたところ、
とても喜んで頂いて、お母様にもお見せしたとのことでした。
お母様もとても喜んでくださって、みんなに見せるとおっしゃっていたとのこと。

職場でDVD持っていない方もいらして、
とても興味があるとおっしゃっていたので、
テキスト版を差し上げたら、とても良かったとおっしゃっていました。

スピリチュアルな機関紙、スターピープルでも特集されているようです。

何よりとても心が清々しく、明るく前向きになります。
すべての悩める人、前向きに進もうと努力している人、
世の中の人すべてに見て頂きたい作品です。


(The Secret ザ・シークレット DVD 最初の20分)


(The Secret to You シークレットからの贈り物)
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by ami-cosmo | 2007-11-07 23:48 | 意識の拡大

ココロとせかい。

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職場、慣れてきましたよ。

仕事はこれからだけれど、それもきっと。
自然食品、雑貨だけでなく、
こころとからだに良い本とか置いているだけあって、
変わっている人が多いです。

テレビ持っていない人が二人もいることを確認。
わたしだけじゃなかった!(笑)

あと、携帯持たない人とか。

エコな生活のためだよ、きっと、と自分に言い聞かせつつ、
尋ねてみたら、
いろんな情報が入らないように、
テレビをあえて見ないとのこと。
すごい。

パソコンもよくない、と窘められたほどであります。

しかも、売り場でお香炊いているし。
それでも普通に売れています。
すごい。

最近、チベットの曼荼羅を見て懐かしいと感じる時の、あの心境が、
蘇りつつあります。
何だろう。
とっても懐かしい世界。

外側にばかり目を向けると、
不安や混乱ばかりだけれど、
少しこころの内側に気持ちが向かうと、
本当の答えって、わたしたちの内側にある気がしてきます。

外側にいながら、
こころの内側を探求する。

もしそれが、いつもできたなら、
きっとすべてが鮮明で、とても優しい気持ちになる。
それはとても深くて、広がりある世界。

答えはきっと、こころの中にある、
そんな気がします。

*ハスのお写真はお友達が送ってくださいました。感謝です。

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by ami-cosmo | 2007-09-18 01:09 | 意識の拡大

水の中の八月


水の中の八月、がついたタイトルで、前回日記を書いたためか、
足跡から伺った中に、レビューを書いている方が。


すごーくあの世界を深く捉えていらっしゃるなと思います。
お盆の度に、ご覧になっているのですね。

わたしは、主人公の女の子が、
プールの大会の事故で臨死体験をした後に、
体の一部分を見ていると、粒々になっていく、とか、
木に抱きつきたくなる、という表現が、
とても共感できて、すきでした。


水の中の八月 HP

**********************************

(レビューより転載)


あ、ノベライズされてるんだ、この映画。
でも、書きたいのは石井 聡亙監督作品の
映画『水の中の八月』について。

話は単純にいえば、
ひとり女の子が水不足の街を救う、
ってなもんで、詳しくは「詳細を見る」にある、
アマゾンのレビューどおり。
宇宙からの隕石がどうの、
古代文明がどうの、と、ちょっとSFだ。

しかし、SFはSFでも、
サイエンスフィクションというよりも、
藤子不二雄が言うところの
「すこしふしぎ」に近いのだろうか。

でもこの映画の味わいどころは、
話としてのその結論、ではないだろう。

劇中の音楽もそうだが、
映像そのものが、まずアンビエント。
さまざまな「水」と「夏」の光景が、
すこしふしぎな話を彩る。
雨、プール、水しぶき、ゆれるミナモ、
嵐、祭、蝉の音、暑さ、ひと夏の出来事。

うるさすぎない演技・演出はもとより、
博多弁や商店街、古くからの慣習、
高校生によくあるセンチメントに、
この作品がSFであることを時々忘れてしまう。

タイトルに「八月」があるから、
というわけではないが、この作品を
僕は毎年「盆休み」にレンタルして観てる。
来年も見たら、おそらくそれは、
記念すべき10回目で、恥ずかしいけど、
10年も同じシーンで泣くことになる。
好きな女の子の喪失をきっかけに、
古代遺跡とそのエネルギーについて、
少年がおじいちゃんになるまで
研究をしつづけた、って、
とんでもない話でもあるのに!

ひとりの女の子が自分と引き換えに、
水不足とふしぎな病気を治めることは、
シャーマニズムやアニミズムの体を成し、
劇中でインサートされる博多の夏の祭りの
由来と重ねられている。
映画の設定なんて、つくりもので
実在しないわけだから、いまでも
毎年行われているだろうこの祭りが、
逆に「信仰のようなもの」が
身近であることを浮き彫りにする。

沖縄やインドや
ネイティブアメリカンの地まで、
行かなくてもいい。
じいちゃんやばあちゃんや
なにしろ先祖が家に帰ってくるわーって
思いふけるお盆に、この映画を観るだけで、
大切にしたい夏の情景や感覚、
イメージを一気に味わえる。俺は。

福岡で大規模なオーディションを行い、
地元に縁深い人々がたくさん出てると聞く。
いろんな街が「地元映画」を
つくっているだろうが、
博多というネタの消化と、そのドラマへの昇華。
石井聡亙監督のフクヨカなる福岡への愛に、
名古屋駅がガメラに出た!と喜ぶ僕から星五つ。

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by ami-cosmo | 2006-08-15 07:59 | 意識の拡大

深い優しさを持つ、sayaちゃん。


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小さい頃のことに思いを馳せていて、
すぐに思いうかんだのが、現在3~4歳のsayaちゃん。

わたしが尊敬する、小さな女の子。
彼女はいつも、大切なことを思い出させてくれます。

sayaちゃんのお父様が感動してお話していたエピソード。

当時sayaちゃんは2歳くらい。
ある日、sayaちゃんとお父さんはお出かけしていて、
お父さんがあんまん?を買ってあげたそうです。

食べようね、と言って、sayaちゃんの分を渡すと、
まずお父様の分を指さして、
「それはパパの分。」
そして、自分の分を二つに割って、片方を、
「これは、sayaちゃんの分。」
もう片方を、
「これは、ママの分。」
と言ったのだそうです。

その瞬間、ハッとしたお父さん。
そう、sayaちゃんのお父さんは、
ママの分など買った時から頭にはなくて、
そのsayaちゃんの言葉に、自分が恥ずかしくなった、
というお話でした。

sayaちゃんは、まわりの人にもとっても優しくて、
ある時、お母さんから離れて過ごしていたkoちゃんが、
sayaちゃんのお母さんの膝にずっと座って、
とられてしまったような状況になっていたことがあったんですね。

その時も、sayaちゃんは、斜めしたに顔を傾けて、
じっと耐えて、
その後、
「koちゃんは、今ママがいなくて、寂しいんだよ。」
と言ったのです。
わたしはびっくりしました。
2歳なのに、なんて心が成熟しているのだろう、と。

そして、koちゃんに向かって、
「ビデオ、借りてきてあげるね。」
と、アニメのビデオを持ってきてあげるsayaちゃん。

本当に、自己をかえりみない
深い優しさを持った女の子だなと思いました。

わたしもたまに道ばたで会うと、
「amiちゃん!」
と、天使の微笑みで声をかけて頂いて、
とっても元気が出た記憶があります。

小さい頃から菩薩のような心を持ち、
更にとても賢いsayaちゃん。

わたしも見習いたいなと心から思いました。
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by ami-cosmo | 2006-07-12 08:00 | 意識の拡大

日本人特有の、寂しさについて。

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寂しい、という言葉を、よく聞きますね。

それぞれの環境や境遇は違うものの、
日本ではとくに、『ひとり』ということに対して、
寂しい、情けない、つまらない、という観念があるように
思えてなりません。

果たしてそれは、
本当に、寂しい、情けない、つまらないのでしょうか。

もしかしたら、自分がそう思いこんでいるだけだったり、
自分で自分を寂しくさせてはいないかな、と思うのです。

一緒に暮らしている、少し文化の違うお姉様にお話してみると、

「確かに、外国人のおじいさんなどは、ひとりで食事するその時間を、優雅に楽しむし、普通にカフェやレストランにひとりで入るのに対して、日本人は、ひとりで食事するのをきらうよね。」

とのこと。

常に誰かと共にあって、時間を当て、お金をつかって、
といったような、そういう情報の影響も、かなりあるかもしれないし、もしかしたら、ある意味で、依存心が強いということの現れでもあるかもしれません。

個人主義が必ずしもいいとは思わないけれど、
ひとりでいることが、
寂しい、情けない、つまらない、といった価値観は、
与えられた時間を過ごす上で、ナンセンス、
ちょっともったいないな、と思います。

心理学的、東洋哲学的に考えたら、
もともとわたしたちの意識が繋がり合っていて、
本当は自分と他人は相互に関係しあって存在していて、
意識を切り離すことはできない。

そのはずなのに、一生懸命、

自分と他人の違いを意識して、

自分の点数と他人の点数の差異を意識して、

他の会社の製品と、自分の会社の製品の違いを競って、

自分の国と、他の国を区別して、

そういった違いばかり見つめることで、
ひとつであったはずのものが、段々ばらばらになって、
あたかも自分はひとりぼっちであるかのように、
感じさせられてしまっているのではないかな、と思います。


幸せと、不幸せのはきちがい。

自分さえ特すれば良い、というその特、
本当に特と言えるのでしょうか。

違いに目を向け、
自分と他人を区別して、
他を害する心を持ち始めると、
当然エゴも強くなって、
嫌悪も強くなり、
その分相手の良さも、伝わらなくなってしまうし、
自分自身も相手に苦痛を与えてしまいますね。


その壁をとりはらっていくのが、
トランスパーソナル的な、
個を越えて、集合無意識に向かっていく心のプロセスなのではないかと思います。

それこそが、多くの人が寂しさで悩み苦しむこの時代に、
必要不可欠な要素だと、
深く感じます。

ヨガや瞑想が最近ブームですが、
健康・美容の枠を越えて、
本当に人々が求めている、心の安らぎに、
たどり着いていただきたいな、と痛切に思います。
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by ami-cosmo | 2006-06-02 00:00 | 意識の拡大

武の道



メッセージにて、植芝さんのお話の引用を頂きました。



「不思議といえば、極めつきの出来事をお話しましょう。これも私が実際にこの目で見たことです。

あるとき、陸軍の砲兵官の方が、軍の関係者を九人ばかり連れて植芝道場にやって来ました。

合気道という素晴らしい武道があるから見学しろ、というわけです。

そのときいっしょに来た人たちというのは鉄砲の検査官でした。

検査官というのは、作ったばかりの鉄砲を実際に撃ってみて、銃身が右に曲がってるとか左に曲がってるとかを判断する人たちなのです。

射撃の腕前はオリンピック級で、私が見せてもらったときも本当に百発百中なのでビックリしました。

そういう人たちを前にして演武を行った植芝先生が、そのとき「ワシには鉄砲は当たらんのや」と言ってしまったのです。

確かに植芝先生は、蒙古で馬賊と闘ったときに鉄砲の弾をよけたと聞いていましたが、しかしこのときは相手がいけません。

検査官の人たちはプライドを傷つけられて、すっかり怒ってしまいました。

「本当にあたりませんか」彼等が先生に詰め寄ります。

「ああ、当たらん」

「じゃあ、試していいですか」

「けっこうや」

売り言葉に買い言葉です。
その場で何月何日に大久保の射撃場で鉄砲の的になる、という誓約書を書かされ、拇印まで押すはめになってしまいました。

しかもその写しを軍の裁判所のようなところへ持っていって、確認までしてもらうという念の入れようです。

これで植芝先生は撃たれて死んでも、文句が言えないようになってしまいました。

さてその当日、先方から迎えが来て、大久保の射撃場へと植芝先生を連れていきました。

お供は私と湯川さんの二人です。
奥さんが大変心配されて、やめるように懇願したのですが、先生は「いや、大丈夫。あんなもん当たらんよ」とのんきなものです。

私と湯川さんも顔を寄せ合って、「こりゃ葬式を用意しといたほうがいいんじゃないか」などと相談していたくらいです。

射撃場に着くと、もっと大変なことが私たちを待っていました。

私はてっきり、一人の人が先生を撃つのかと思っていたら、なんと六人がかりだというのです。

用いた銃はピストルでした。
ピストルの有効射程距離が二十五メートルだそうです。

射撃場ではその距離に人間の形をした的が置かれています。
しかし、そのときは人形の代わりに、植芝先生が的の位置に立つことになりました。

そして、こちらのほうで、六人の検査官がピストルを構えました。

二十五メートルというと相当の距離です。
あんなところから先生はいったいどうするというのだろう、と私は息を呑んで見守っていました。

「一、二、三」で六つの銃口が一斉に火を吹きました。

砂ぼこりがもうもうと舞い上がったかと思うと、次の瞬間、六人のうちの一人が宙を舞ったのです。

なんということでしょう。
先生がいつの間にか六人の後ろに立って、ニコニコ笑っているではありませんか。

狐につままれたような気分とはこのことです。
いったい何が起こったのか、私にはまったく理解できませんでした。

私ばかりではありません。
その場にいただれもが、ただ驚くばかりで言葉を失っています。

納得のできない様子の六人の検査官が、もう一度やらせてくれと申し出ました。
先生は「かまわんよ」と、いたって涼しい顔です。

もう一度、六つの銃口が先生に向かって火を吹きました。
と、今度は端っこの人が投げられて宙に舞ったのです。

先生はまたもや、いつの間にか後ろに立っていました。

私は茫然となってしまいました。
今度こそ何が起こるか見極めてやろうと目をこらしていたのですが、結局、先生の動きがなにひとつ見えなかったからです。

立っている先生に向かって六つのピストルの引き金が引かれた。そこまではわかっています。

ところが、次の瞬間にはもう、先生は二十五メートルの距離を移動して、人一人を投げ飛ばしているのです。

これはもう、まぎれもなく神技としか思えません。
首を傾げるだけの軍の関係者をあとにして、先生は意気揚揚と引き上げたのでした。

 
帰りしな、私は先生に「いったいどうやったんですか」と尋ねました。
それに対する先生の答えは、次のようなものでした。

彼らがピストルの引き金を引こうとすると、黄金の玉のような光が飛んで来る。
弾はそのあとから来るから、よけるのはなんでもない。

それに、六人同時に撃ってるつもりでも、一度には出て来ない。
必ずバラバラだから、いちばん先に来るやつのところに行けばいいのだ、と。

「金の光は、ビューんとすごい音がするんだよ」と先生はおっしゃってました。

音がしたときに走り出すんだそうです。そのときはまるで忍者のような、腰をかがめて小走りにはしるような格好になるそうです。

それで飛びこんでいって、あとから弾が来たときにはもう半分くらい中に入っているのです。

先生は、金の光が来てから弾が届くまですごい時間があるというんですが、見ている方にとっては、まさに一瞬にしかすぎません。

先生が間合いをつめるのは、まったく見えないわけです。 

・・・(中略)・・・

この話には後日談があります。

私の知り合いで、山梨に佐藤貞次郎という猟師がいました。
この人が鉄砲撃ちの名人なのです。

たとえば、山鳥を撃つ場合、猟師が山鳥が沢から降りてくるのを狙い撃ちします。

このときの山鳥のスピードは時速二百キロくらいになるんだそうです。

山鳥というのは、頭を撃たれると、そのままストンと落ちるのですが、腹を撃たれると、滑空していって遠くに落ちてしまう。

だから、猟師は皆、頭を狙ってその場に落としたいのですが、なかなかうまくいかない。

ところが、この佐藤さんは百発百中で頭を射抜くのです。
まさに鉄砲撃ちの名人中の名人です。

あるとき、私はこの佐藤さんに、植芝先生が鉄砲をよけた話をしました。

「それでもワシの鉄砲はよけられん」と、佐藤さんは自信満々です。 
「人間の頭なんてこんなにデカい。ワシは山鳥の頭を撃つんじゃ。人間に当たらないわけがない」

そう言って、佐藤さんは先生と勝負するために山から下りてきました。

私は佐藤さんを植芝道場に連れていって、勝負をしたい由を先生に伝えました。この挑戦を先生は受けたのです。

道場の奥に先生が正座して座り、離れたところから佐藤さんが猟銃を構えました。私は固唾を飲んで見守っていました。

佐藤さんの指が今まさに引き金を引こうとしたときです。

「まて、あんたの鉄砲は当たる」と、先生が制しました。
 
「あんたはワシを撃ってやろうなどという気持ちがこれっぽっちもない。最初から当たるつもりで撃とうとしている。

そんな人の鉄砲はよけられない。たいしたものだ」

先生はそう言って、佐藤さんに頭を下げました。
佐藤さんはほんとに喜んで、また山に戻っていきました。


(塩田剛三著「合気道 修行」竹内書店新社)

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by ami-cosmo | 2006-03-18 01:33 | 意識の拡大

プラスの魔法を使って

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わたしの生存場所には、テレビは存在しないのですが、最近オーラの泉にベッキーさんがゲスト出演されていたそうで、その中で、嫌いな人はいない、と発言されていたと聞きました。

「嫌いな人はいないです。苦手な人だとかなかなか合わないなって人はいますけど。
嫌いというのは、格好も中身も100%嫌いになって初めて言う言葉だなって思うから。
嫌いな人はいないです。」

「だってみんないいところがあるから。いいとこ探しが好きなんです。
その方が、自分も楽だと思います。」


紙に家族、友人など大きくカテゴリに書き、家族のひとりひとり、友人のひとりひとりに
感謝してから、昨日いただいた食事、今着ている綺麗な服、しかってくれた人など
すべてに感謝するそう。

そんなベッキーさんには、姉のためなら自分の存在は関係なく、命をかけて守りたいという精神を持った、妹さんがいらっしゃるとのこと。

いつも他に安らぎを与えようと努力する人の側には、その縁によって、他を思う人が存在するようになるのですね。

少し前まで、そういう人って珍しいと思っていましたが、
今若い人たちに支持されている、輝いている人は、みんなとても純粋な感覚を有しているみたいですね。

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加藤ローサさんも、

嫌いな人はいません。もっとみんなと話したいです。
 というコメントをされたことがあるらしく、
例えいじめられても気づかないふりをしてしまうのだそうです。

根から明るい明朗快活で輝く人というのは、他に対する嫌悪から解放されていて、
前向きに、直向きに生きているという共通点があるように思いました。
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by ami-cosmo | 2006-03-13 18:19 | 意識の拡大

心拍数。


最近、朝起きると心臓の鼓動が驚くほどに早いです。
ついに更年期障害かしら。。と思って、同室のお姉様に伺ったところ、
「三昧に入ろうとしている前段階なんじゃない?」とのことでした。
三昧って・・・・ わ、わたしはもう彼岸に行かねばならないということでしょうか。。

三昧、といえば、以前3ヶ月長野で山籠もりしていた時、ようしん開発の達人であるお医者様のお話を伺った次の日に、まったく同じ現象がわたしの身に起こったことがありました。

休んでいると、突然心拍がダダダダダダと速く打ったかと思うと、ゆっくりになって、そして止まったのでした。もちろん、呼吸もしていません。(ぇ?

そのまま身をまかせていると、わたしのこの身体から、別の身体がスーッと抜け出たのです。
「え?」 と思っていると、わたしは部屋の中を歩いていました。
すると、お手洗いの前の廊下に、山姫さまがいらっしゃいます。
二年に一度お会いできれば幸運なくらい、本当に稀なお方です。

わたしは、ちょうど山姫さまにお伺いしておきたいことがあったので、早速伺ってみました。
すると山姫さまは、「いいんじゃない?」とおっしゃったのでした。

その後、意識は夢へ移行して、起きる寸前に何故かNSばあちゃんが出てこられました。
わたしは何故NSばあちゃんが出てきたのかな、と思いつつも、
夢だからそういうこともあるか、と思い、気にせずにいたのでした。

そして、その体験から一週間後、お手洗いから戻ろうと廊下に出ようとすると、
山姫さまがいらっしゃるではありませんか。

「山姫さま!?」
「ああ、amiちゃん。」

わたしは早速伺いたかったことをお伺いしてみました。
すると山姫さまは、
「いいんじゃない?」

そう、心停止・呼吸停止で別の身体が抜け出した、一週間前の体験とまったく同じ状況が繰り広げられているのです。

わたしは、「もしかして、NSさんの関連でいらしたのですか?」
と伺ってみると、
「そうだよ。」              とのこと。

だから夢の最後に、NSばあちゃんが出てこられたんだ、と、納得のいく理解が生じたのでした。

要するにわたしは、心停止・呼吸停止の状態で、この身体から意識からなる身体が抜け出して、一週間後の現象を前もって体験していたようです。

よく、幽体離脱、という体験が巷にあると思うのですが、ようしんに関する経験は、幽体とはまた別のもののようです。

達人曰く、『心停止・呼吸停止の状態で、別の身体が抜け出し、鮮明であり、かつ、自在性がある。』 とのことでした。

きっと、達人のお医者様に、ようしんが抜け出すまでの過程やポイント、注意点、実例などを伺って、恐怖心や雑念がとりはらわれたことによって、そのような体験に至ったのかもしれません。
それからというもの、この後何度か同じような体験があり、引っ越し先の上空を浮遊していたり、見たこともなかったその引っ越し先で数ヶ月後に体験する未来を見たり、といったことが何回かありました。

達人のお話によれば、何か悩みや、心の奥深くでひっかかっていることがあった場合、
その別の身体の状態で解決すれば、根本から滅却することができて、二度とその問題で悩まされることがなくなるのだそうです。

自在にようしんをコントロールできるようになったら、心身共に軽快になりそうだな、と思いました。
ようしんは、気功やヨガはもちろんのこと、仙道太極拳などでも極めることができるようですね。     

山籠もりに来た当時は、池袋で7ヶ月間もアルバイトしていたこともあって、お腹は痛い、精神的にもつらい、無添加のお菓子も受け付けない、とにかくそこにいるだけでも大変な状態だったのですが、さすがに三ヶ月も長野の山奥で瞑想したお陰か、段々夢見が良くなり、
ほぼ毎回明晰夢になり、コントロール自在となり、心身共に大変元気になったのでした。
お食事も、ちゃんととれるようになったのです。

その頃は、歌の歌詞がすべて梵字になって青空に浮かび上がる夢を見たり、
天のような建物の中にいる夢を見たりしました。


意識を鮮明に保って、もっと意識から成る身体を自在にコントロールできるようになりたいな、と思います。

2月始めに仙道太極拳の講習会にちょっとだけ参加できるかもしれないので、
そのことも踏まえて精進あるのみ、ですね。
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by ami-cosmo | 2005-01-29 08:59 | 意識の拡大

共感覚。


強く生きる割れない癒しの太極拳士(ひび割れ回復中)が、興味深い記事をお書きになっていたので、転載します。トラックバックだと挑戦状が来そうなので(笑)。


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(ブログより抜粋)

でも、世の中には不思議な症状があって、共感覚という10万人に一人の症例があると言う。病気というわけではないのだけど。

共感覚というのは、ある感覚に別の感覚が伴うのだ。
どういうことかというと、「甘い」という味を感じた時、手に「丸い」感触を感じる。
青い物を見た時に三角形を感じる。
低い音を「赤い」と感じる。

触覚と視覚の組み合わせでだけではなく、五感全ての組み合わせがあるという。
つまり、一つの感覚に、別の感覚が伴って同時に生じるのだ。

共感覚者の見る世界は、一つの感覚だけではない、複数の感覚によって捉えられる、不思議と神秘に満ちたものになるという。

「料理を作るとき、塩を入れすぎて三角形を感じた。
もっと「丸」を入れなければいけないのに、料理が三角になりすぎた。」

「この音は青すぎるよ。もっと赤く出来ないか。」

これは決して単なる言葉遊びなのではなく、彼らにとっては確かにそこに丸や三角や色があり、それを感じて生きているのだ。

それがこの世の真実を捉えたものなのかどうか・・・?
彼らが手に三角形を感じている時、そこに当然三角形はない。

だからこの感覚は幻影なのだ。

しかし、彼らはたとえば味覚を視覚として感じたり、逆に視覚を味覚として感じることで明らかに普通の人よりも多角的な見方をすることが出来、またその結果出来上がるものというのは素晴らしいものが多い。

共感覚というのはある意味一つの真実の捉え方なのだと思う。

実際、感覚というのは全て光に還元出来るそうだ。
どういうことか、自分にはよく分からないけど。
甘い光、黒い光なんてぇものもこの世に存在するらしい。
もしかしたら三角形の味、白い味とかもあるのかもね。

・:*:・°`☆、。・:*:・°。・:*:・°`☆、。・:*:・°。・:*:・°`☆、。・:*:・°。・:*:・°


以上の記事を読んでいて思い出したのですが、ユングは人の深い意識にはげんけいと呼ばれるシンボルが存在していると提唱していますね。
ユングが、自分自身の内的探求によって得た世界観とまったく変わらないと感銘を受けたというチベット死者の書。この中にも人がこの生涯を終えた後、49日間の間に経験するという光やヴィジョンについての詳細が述べられています。
ユングの受け持った患者さんは皆、意識が統合されていく時に、円形の幾何学模様のようなシンボルを見たのだそうです。
その意識が統合される時に見える図を、深い洞察によって理解していたチベット僧達は、瞑想の道具として活用していたのですね。

また、数や形や色、というものは、太古からとても大切な存在としてあつかわれてきた、と東洋哲学講座で聴いたことがありました。
5や9、11や13は神の数字であるということ。マヤの暦は13ヶ月ですね。人々は12という数字に封印されてしまっているけれど、本当は13に至ることで、持ち合わせているもっと多くの要素が解放されるということでした。
また、家が四角でなければならない、という発想なども、国によって違っています。
△は動きを意味していて、十字架は統合を現していて。。。
身につけるシンボルも、今、自分自身がどういう状態なのかを考えて、補う意味で選ぶと良いとのことでした。
今ではアクセサリーとされている宝石やシンボリックなペンダントは、本来はアーユルヴェーダや占星学における処方箋だったのですね。
より光の強い物で反射させることで、魔を防いでいたのだということでした。
耳から入る魔を防ぐためにイヤリングを、心に入る魔を防ぐためにネックレスを、といったように。
もちろん、星の配置図を見ながら、自分自身に合った石や色を選ぶんですね。

今だから深い意味がわからなくなってしまっているけれど、大昔からあるもの、というのは何かしら意味があるのだな、と感慨深い講座でした。
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by ami-cosmo | 2004-11-25 19:26 | 意識の拡大