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by ami-cosmo | 2005-07-29 01:05 | 植物たち

隣り合わせ。

久々にjujuとかりんちゃんと再会。最近親類が亡くなられたとのことで、そのお話を聞いたり、死生観について話したり。
日記にもあったけれど、不思議と号泣はしなかったとのことでした。

バルドトドゥルの存在を知っていたり、輪廻の考え方があるのとないのとでは、全然違うね、と3人で話していました。
かりんちゃんのお知り合いの方に過去世回帰もお願いできたらよいね、というお話も。

最近の葬儀は、効果音がつくというのを聞いて、驚きです。

少し前から読んでいる1000の風という本では、出だしに、どうかわたしの墓石の前で泣かないでください。わたしはもうそこにはいません。といったフレーズが出てくるのだとか。
お釈迦様のお話でも、お墓の前で泣いている人に、牛を使って理解を促すお話が出てきていました。

自然食品のお仕事は、すごくやりがいがあってお勉強にもなって、ヨガをしている人もまわりに多いみたいだから、今は以前よりも良い環境になったのですね。
かりんちゃんがチベットのお菓子を教えてくれて、それもすかさずメモ(最近メモするようになったのでしたね。)
大豆タンパクのからあげも作っているみたいで、親近感がありました。ベジタリアンのお客さんも多いのだそう。
わたしは行ったことないのだけれど、身近な人で、2回くらい活用したことがあるというのを聞きました。

親類の方はまだ旅の途中ですね。高い世界に至れることをお祈りしています。
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by ami-cosmo | 2005-07-26 02:31 | 近況・日常

タイトル。

少しすずしくしてみました。季節によって変わる可能性があります。
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by ami-cosmo | 2005-07-21 02:45 | お知らせ。

視力。


瞑想をしているお友達と会ってお話を聞いたら、その後、目が見えなくってしまう夢を見て、目が見えなくなるというだけで、どれだけの恐怖を味わうのかを体験させていただきました、というご連絡を受けました。
最初は見えずらい、という感じで、目をこすっても、見えなくなってしまうのだそう。

目が見えなくなってしまう、ということは、その人の見えている世界はまったく変わってしまうのだから、確かに恐怖だと思います。
通常の視力のある状態だと、そのような恐怖は実感しにくいですが、たたいたら痛いといった苦しみや、求めても得られない苦しみや、得ていたものが壊れ去る苦しみというものは確実に存在するのですね。

多くの人が、真の意味においては盲目であるといわれているけれど、もしかしたら、その視力がなくなってしまう状態のように不自由なことなのかもしれないな、と思いました。

何年か前に読んだ虹の階梯という本の中で、長い瞑想の末、なかなか菩薩に会うことができずに、山を降りようとしたアサンガが、足を腐らせた犬を見た時、慈悲の心を起こし、心の曇りが取り払われたことで完全に視力を取り戻し、いつもそばにいた菩薩に、やっと会うことができた、というお話があったことを思い出しました。
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by ami-cosmo | 2005-07-19 19:21 | 近況・日常

旅。

今週は心の旅です。
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by ami-cosmo | 2005-07-11 07:32 | お知らせ。

友人のレポート課題

友人の大学院で出たレポート課題。紹介して良いとのことだったので、ご紹介します。

転載


課題:「絶対的価値観の存在しないニヒリズム時代においてどのように生きるべきか」

私なりの答:
「この世の中に絶対的価値というものは,存在するのか」これは,古くから様々な宗教学者や哲学者が議論してきたテーマの一つである.また,近年,数学者のゲーテルによってすべてを解き明かす完全な理論体系を構築することは論理的に不可能であるという「不完全性の定理」が証明されている.アリストテレスは,無限を「可能的無限」と「現実的無限」に分類したが,この不完全性の定理によると,この世が現実であるかどうかは非決定的であり,この相対的次元の世界において現実的無限,すなわち「絶対・普遍性」は存在しないことになる.このような考え方は,一般に現代のニヒリズムの思想と同等であると考えられる.ニヒリズムは,絶対的な価値観を否定するものであり,釈迦の「空の思想」や老子の「無」の思想と似ている.では,このような絶対的な価値観の存在しない世界において私たちはどのように生きればよいのであろうか.私は,釈迦の教えを参考にこれからの生き方をどうすべきかを考えてみたい.
 まず,釈迦の説いた教えの中で有名なのが,「この世は一切無常である」という教えである.この教えは,物質,財産,家族,心,意識,意志等すべての万物は必ず変化するものであり,絶対的なものは存在しないという考え方である.これは,この世は相対次元であることを意味している.例えば,すべての生命は,必ず生・老・病・死の過程を通過するため,現在状態を永遠に保つことはできない.では,このような相対次元の世界において釈迦はどのように生きるべきかと解いているのであろう.人間がこの世で様々な苦しみや苦悩から解放されないのは,人間が相対的な価値観に捕らわれているからだという.すなわち,相対的に変化するものに固執・執着するがために人々は様々な苦しみに悩まされるのである.確かに,我々は,相対的次元において生活しているため,他者や過去の自分と比較して生きる習性がある.このとき現在の自分が他者や過去の自分より優位な状態のときは満足感を感じるが,自分が劣っている状態のときは,不満・劣等感を感じるではないだろうか.また,釈迦が悟った当時,「空の思想」を説いているが,これは,すべての事象には実態がない,すなわちすべての事象は幻影であると解いている.しかし,この思想は,すべてが幻影なのだから何もするなという教えではない.この教えの真髄は,すべての事象が相対的なもので,絶対普遍なものでないため,それに捕らわれることなく,一瞬一瞬を大切に生きよという意味だと思われる.
 この世は,相対的な世界であり,絶対的価値観や真理というものは存在しないのは確かだと思う.そして,絶対が否定されることによって,相対的解釈の可能的無限性や多様性が創発される.例えば,善悪という概念も相対的であるため,ある集団において善とみなされるものが,他の集団では悪とみなされることになる.逆に相対的解釈をする人間のいない自然界では,善も悪も存在しない.私は,このような相対次元の世界では,相対的価値観に捕らわれることなく,釈迦の教えのように,あらゆる事象に対して頓着せずに,淡々と前向きに生きるべきだと思う.

転載終了

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by ami-cosmo | 2005-07-04 23:01 | 東洋哲学

貯水

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荒川近辺を2時間半くらい歩いて。 川に行くまでの道にある貯水池。



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流れている水辺でないためか、くぼんだ部分に貯まっている水はわりと異臭がしています。
あぶないので入らないように、という貼り紙がありましたが、子供達はかまわず入っていました。









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水辺から遠く離れた帰り道、広い道の真ん中に亀さんが。
真ん中にいてはローラーブレートの人と衝突してしまうかもしれないと思って、水辺川の草原に移動。乾いて疲れ果てているかもしれないと思って、持っていたペットボトルのお水をかけて、近くに小さな水たまりを作りました。
一晩で池に戻れると良いですね。
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by ami-cosmo | 2005-07-03 09:01 | 地球環境。