2006年 06月 02日
日本人特有の、寂しさについて。寂しい、という言葉を、よく聞きますね。 それぞれの環境や境遇は違うものの、 日本ではとくに、『ひとり』ということに対して、 寂しい、情けない、つまらない、という観念があるように 思えてなりません。 果たしてそれは、 本当に、寂しい、情けない、つまらないのでしょうか。 もしかしたら、自分がそう思いこんでいるだけだったり、 自分で自分を寂しくさせてはいないかな、と思うのです。 一緒に暮らしている、少し文化の違うお姉様にお話してみると、 「確かに、外国人のおじいさんなどは、ひとりで食事するその時間を、優雅に楽しむし、普通にカフェやレストランにひとりで入るのに対して、日本人は、ひとりで食事するのをきらうよね。」 とのこと。 常に誰かと共にあって、時間を当て、お金をつかって、 といったような、そういう情報の影響も、かなりあるかもしれないし、もしかしたら、ある意味で、依存心が強いということの現れでもあるかもしれません。 個人主義が必ずしもいいとは思わないけれど、 ひとりでいることが、 寂しい、情けない、つまらない、といった価値観は、 与えられた時間を過ごす上で、ナンセンス、 ちょっともったいないな、と思います。 心理学的、東洋哲学的に考えたら、 もともとわたしたちの意識が繋がり合っていて、 本当は自分と他人は相互に関係しあって存在していて、 意識を切り離すことはできない。 そのはずなのに、一生懸命、 自分と他人の違いを意識して、 自分の点数と他人の点数の差異を意識して、 他の会社の製品と、自分の会社の製品の違いを競って、 自分の国と、他の国を区別して、 そういった違いばかり見つめることで、 ひとつであったはずのものが、段々ばらばらになって、 あたかも自分はひとりぼっちであるかのように、 感じさせられてしまっているのではないかな、と思います。 幸せと、不幸せのはきちがい。 自分さえ特すれば良い、というその特、 本当に特と言えるのでしょうか。 違いに目を向け、 自分と他人を区別して、 他を害する心を持ち始めると、 当然エゴも強くなって、 嫌悪も強くなり、 その分相手の良さも、伝わらなくなってしまうし、 自分自身も相手に苦痛を与えてしまいますね。 その壁をとりはらっていくのが、 トランスパーソナル的な、 個を越えて、集合無意識に向かっていく心のプロセスなのではないかと思います。 それこそが、多くの人が寂しさで悩み苦しむこの時代に、 必要不可欠な要素だと、 深く感じます。 ヨガや瞑想が最近ブームですが、 健康・美容の枠を越えて、 本当に人々が求めている、心の安らぎに、 たどり着いていただきたいな、と痛切に思います。
by ami-cosmo
| 2006-06-02 00:00
| 意識の拡大
|