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生命への慈しみ。


生命への慈しみ。_b0023052_124829.jpg心の旅から帰って来ました。
留守の間、コメント・メッセージくださった方々
ありがとうございます。

今回の心の旅で心に残ったことを、
書き留めておこうと思います。


4日水曜日、晴れた日は、いつものように、
歩いて片道2時間の公園へ。

やっぱりここの公園に来ると元気が出て、
何でも頑張ろうという気持ちになってくるのが不思議。

そろそろ時間なので、帰ろうとおもい、
歩いていると、少し前から公園の入り口あたりに住んでいる、
猫の家族が。

猫たちを見渡していると、ふと目にとまる光景が。
何と、小さな子猫が、瀕死の状態で横たわっているのです。

くろいしま模様のとら猫で、体はやせ細り、
顔は病気のためか、黄色くかさかさに、黄色いものがたくさん
出ていました。
形状は、小さいうじのようなものが外に出てきているような感じだったので、もしかしたら、内臓に虫が湧いてしまったのかもしれません。

お腹を見ると、呼吸をしていて、
たまに、ニャー・・・と、かすれて声にならない声を
叫ぶように苦しそうに出すのでした。

周囲にはたくさんのハエが飛んでいて、
子猫がたまに動いて払っても、
容赦なくまとわりついているのでした。

あまりにもかわいそうで、しばらく立ち尽くして見ていた後、
しゃがんでハエを払いつつ、見つめていました。

まわりにはたくさんの茶トラと黒トラと、その子供のみけ猫
などがいるので、通りかかる人みんなが立ち止まります。

わたしがしゃがみ込んでいるのを見て、
その視線の先にある子猫を見た、
猫に餌をあげているおばさまと旦那さんが、
自転車で近づいてきて、「どうしたの?」
と猫の状態を見てくださいました。

すると、
「家も猫飼ってるけど、もうここまで来たらダメだと思うよ。」
とおばさま。

後からもうひとり、主婦の方が、
何かを紹介しようとしてわたしたちに話しかけたところ、
その子猫を見て、とても心を痛めて、
「家も猫が4匹いるんですよ。かわいそう。どうしてそんなことになったのだろう。人間のエゴでみんなこうなるのよね。見ていられない。」
とおっしゃって、立ち止まりました。

ずっと子猫を観察していたわたしは、
わりと呼吸がしっかりしているな、と考えながら、
そうだ、動物病院だ。今ならまだ間に合うかもしれない。
と思いつきました。
友人に調べてもらっていると、後から来た優しい主婦の方が、
「家も近くで見てもらっているから、もし行くなら紹介します。」
と、動物病院の名刺をくださいました。

連絡してみると、その病院の方は、
「状態を見てみないとわからないけれど、抗生物質でその状態を止めて、スポイトなどで赤ちゃん用のミルクを飲ませるなどの方法もあります。これから手術なので、3時になったら診察できます。」
とのこと。

もう一ヶ所の病院も、状態を見てみないとわからないとのことだったけれど、子猫の様子からして、危篤に近い状態だと思ったので、
長い距離も難しいかなと考えていました。

猫に餌をあげているおばさまは、
「もうこの猫は助からないから、病院に行ってわざわざお金出すこともないし、そうするくらいなら、近くにいてあげて、みとってあげて、土に埋めるか、川に流すか、保健所に連絡するのが一番だよ。」
とのことでした。

それを聞いて、何だか自然に涙が出てきて、
久々に生き物を前に泣いた気がしました。

その子猫が、なるべく安らかに死を迎えられるのが良いのだから、
泣いてはいけないなと思い直して、
しばらくチベットの真言を心の中で唱えながら
近くにいることにしました。

近くの草むらでは、みけねこが、心配そうに見守っています。
そして木の上では、しきりにカラスが子猫を狙って飛んでくるのでした。

まだ意識がある状態で、今もこんなに苦しんでいるのに、
更にカラスに啄まれたら、もの凄い痛みと、恐怖があるに
違いないと思い、カラスを追い払いました。


1時間くらい経ったでしょうか。
おばさま達と見守る中、子猫は静かに息をひきとりました。


生命への慈しみ。_b0023052_125660.jpgチベットのバルド・トドゥルによれば、
死後、魂は49日間の間、意識があって、
それぞれのカルマ(業)によって、
地獄・動物・餓鬼・人間・天の世界などに
生まれ変わるとされていると聞いたことがあり、
そのためチベットではすぐに火葬などはせず、
死者の魂をできるだけ良い世界に旅ただせるために、
毎日死者に経典を読み聞かせ、ガイドをするということを
知っていたので、
なるべく保健所などにはひきとられたくないな、
と思いました。

息をひきとったばかりだし、意識もまだ身体に宿っているだろうから、なるべくそのままにしておこうと思いましたが、
おばさま達によれば、
カラスが食べて散らかすに違いないとのこと。

静かな場所に安らかに埋めてあげるのが一番良いだろうという
ことになって、猫たちがいるすぐ側の茂みに穴を掘ることにしました。

最初、穴を掘ろうとしたけれど、
気の根っこなどがあり、
枝などでは穴を掘ることが難しそうでした。


そこに、「どうしたの?」と自転車に乗ったおじさまが
現れました。

おばさま方が、ことの成り行きを説明して、
子猫を埋めてあげたいと伝えると、

「じゃあ、シャベル借りてくるわ。」
と去って行かれました。

ものの数分もせず、おじさま、シャベルを片手に自転車で登場。

「すごい!どこから借りてきたんですか?」
とおばさまが尋ねると、

「そこの工事現場で借りてきたわ。」
とおじさま。

まさに目を見張る、フットワークの軽快さと、
機敏な対応でした。

そして、気がつくと穴を掘り始めているおじさま。

「自分もうさぎを飼ってたんだよね。名前呼ぶと来るし、
出かけると玄関で待ってるんだよ。本当かわいくてね。
でも、歯が伸びて、脳を突き刺して死んじゃったんだよね。」

と目をうるうるさせながら、穴を掘られていました。

「だから、もう、生き物を飼おうとは思わないね。」 と。

とても優しい、生き物を慈しむ心の持ち主なのだなと思いました。

通りかかった優しい人々によるご協力のもと、
無事、子猫ちゃんの体は、仲間の猫たちや大きな木の側の
土の中へと還っていきました。

「わたし、明日も来る。お供えして、お祈りしに来るわ。」

と優しい主婦の方。

そこにもう1人後からおばさまがやってきて、
「うちも猫飼ってるけどね。道路の近くだからよく死んでるんだけど、全部拾って、埋めてあげてたよ。そしたら、主人の葬式の時に、猫が出てきたよ。」
とのことでした。

何と、この公園は、自殺者が多いのが有名らしく、
霊感のある、ケーキ屋さんを営む娘さんは、
来れないと言っているとのことでした。

3人でその場所に立ち止まっていると、
今度はカラスが他の鳥の死体を運んできて、
どういうわけか、その道ばたにおいていきました。

親猫はそれを拾って、まだ生きている茶トラの子猫に、
獲物としてそれを見せて教育していました。

「また死体。今日はどうして、そんなものばかり、
見るのかしら。」

と優しい主婦の方。

わたしは、

「死は、普段おぞましいとみんな思っていて、隠したり、
遠ざけたりするものですが、必ずやってきますね。

死があるということを忘れてしまうと、
生きることをなおざりにしやすくなってしまいますが、
もし、死があるということをいつも認識していられたら、
とても今という時間を大切に生きることができると思うんです。

だから、今日はきっと、死というものを、大切なことを、
わたしたちにメッセージとして見せてくれたのではないかと
思います。」

と、その時思ったことをお伝えすると、

「そうか、そういうことなのねー。。。」

とおばさま方も共感してくださいました。

「若いのに、そんな風に考えられるなんて、何か学校で勉強しているの?」

と聞かれたので、

「チベット密教にある、生と死の考え方や、東洋哲学に共感を持っています。」

とお伝えすると、納得してくださったようでした。


おばさま方にご挨拶をして、
帰ってからは、猫の死を前にしたばかりだったので、仏典
を読みました。

何時間か経ってから、目を瞑ると猫が見えたりしました。

少し前の、道路の狸さんといい、
今回の子猫や鳥さんといい、
本当にいつも大切なメッセージを頂いている気がしました。

生命への慈しみ。_b0023052_1252931.jpg
次の日からは、瞑想を中心に。
この日まであまりイメージを使った瞑想は日々の日課に
とりいれていなかったので、
普段の意識とはまた違った意識が出てきて、面白かったです。

夢の中にいる時のように、微細な、
旅先の宿のみんなが、自分になったような、
その1人1人が小さな子供の意識にあるような、
静かで穏やかな意識。


今回の旅では、最初、自分の心や言葉の軽率さにより、
人を傷つけ、不安にさせたり、苦しめてきたということに
気づかせて頂いて、改めようと思うことができたこと

また、死、というものを、まさに間近で経験することによって、
時の大切さと、死の存在、生き物を大切にすることの重要性と、
また優しい人々の心があることを知ったこと

そして、瞑想によって、
まわりすべてが純粋無垢な子供のような、
それが一体となったような、
静かで穏やかな意識を与えて頂けたこと


と、とても有り難い旅だったと思います。


わたしのいる場所に存在してくださった生命体、
いつもご加護頂いている神々、
そして、与えて頂いた現象に、
心から感謝したいと思いました。

ありがとうございます。
by ami-cosmo | 2006-10-07 23:59 | 心の旅。