2007年 12月 22日
![]() 100万人のキャンドルナイト 2007年 冬至 2007年12月22日(土) 20:00~22:00 「100万人のキャンドルナイトとは」 私たちは100万人のキャンドルナイトを呼びかけます。 2007年の冬至の日、12月22日夜、8時から10時の2時間、 みんなでいっせいにでんきを消しましょう。 ロウソクのひかりで子どもに絵本を読んであげるのもいいでしょう。 しずかに恋人と食事をするのもいいでしょう。 ある人は省エネを、ある人は平和を、 ある人は世界のいろいろな場所で生きる人びとのことを思いながら。 プラグを抜くことは新たな世界の窓をひらくことです。 それは人間の自由と多様性を思いおこすことであり、 文明のもっと大きな可能性を発見する プロセスであると私たちは考えます。 一人ひとりがそれぞれの考えを胸に、 ただ2時間、でんきを消すことで、 ゆるやかにつながって「くらやみのウェーブ」を 地球上にひろげていきませんか。 「カナダの自主停電運動」 さかのぼること2001年、カナダ。1ヶ月に1基ずつ原子力発電所を建設するという米ブッシュ大統領の政策に反対する「カナダの自主停電運動」がヒントになっています。 このカナダの運動を見て「日本でもやってみよう」と言い出したのは、明治学院大学教授の辻信一さんでした。辻さんは、環境問題をテーマに活動する「ナマケモノ倶楽部」というNGOを作った方です。一方で辻さんは「カフェスロー」を経営しています。まずはこのお店のイベントとして始めました。カナダの「自主停電運動」は真っ暗にしてやるんですが、それでは子供が暗闇に驚いて泣いてしまいます。そこで辻さんは、真っ暗闇の中でろうそくを灯しながらやることを思いつきました。「あたたかいろうそくの灯りがともった暗がりのカフェで過ごす時間はとても心地がいい」参加していただいた方々からの声もまた、あたたかいものでした。 スローカフェでの「自主停電運動」の評判の良さに辻さんは嬉しくなり「大地を守る会」(有機野菜の宅配サービスをしており、全国の農家と生活者の間をつなぐ活動をしているNGO)の藤田和芳さんを声をかけ、藤田さんは「大地を守る会」を中心に秋に「キャンドルプロジェクト」を実施しました。参加したひとに書いてもらった作文には、心を打つ言葉がたくさん並んでいました。 「いつもお茶をたてるときは、15分しかかからなかったのだけど、ろうそくの灯りだけでやったら1時間かかりました。手元が不安定で大変だったけど、ゆっくりと丁寧に、時間をかけてたてたお茶は、とても美味しかったです」 「原発反対」と100万回叫ぶより、1人1人が生活のワンシーンでこういう時間を自由に体感していくことが、いつかほんとうに平和な暮らしへとつながるのではないか。集まってきた言葉を読んでいて、2人はそう思ったのです。 辻さん、藤田さんに加え、マエキタさん、竹村さん、枝廣さんが集まり、もっと多くのひとが気軽に参加できるようにという想いをこめて、2003年夏至の日、「100万人のキャンドルナイト」という名前をつけ始まったのです。 遠い海の向こう、カナダの運動を見て、日本で始まった「100万人のキャンドルナイト」。いつの日か、カナダでも、そして世界中のひとが、夏至の夜ろうそくの灯りをともして過ごしてくれたなら、月に立って見つめる地球には、あたたかいくらやみのウェーブが広がるのです。わたしたちはこの日を願ってやみません。 「100万人のキャンドルナイト」HPより ![]() わたしの働いている自然食品屋さんも、 夏至と冬至にキャンドルナイトに参加しているようです。 お店での参加は初めてですが、今日の夜、参加してきます。 少し前に再開したjuju。 jujuとの会話の中でも、原子力発電所のお話や、 いのちの食べ方、という映画についてのお話を聞いて、 とても考えさせられていたところでした。 今回のキャンドルナイトも自分自身、 そして生き物や世界に対して向き合う、 良い機会になりそうな気がします。 2007年12月22日、20:00~22:00。 可能であれば是非、 電気を消して、心の灯火を感じてみてください。 ▲
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| 2007-12-22 00:14
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2007年 11月 17日
![]() 森が燃えていました 森の生きものたちは われ先にと 逃げて いきました でもクリキンディという名の ハチドリだけは いったりきたり 口ばしで水のしずくを一滴ずつ運んでは 火の上に落としていきます 動物たちがそれを見て 「そんなことをして いったい何になるんだ」 といって笑います クリキンディはこう答えました 「私は、私にできることをしているだけ」 出典・「ハチドリのひとしずく」 光文社刊 ▲
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| 2007-11-17 19:08
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2006年 05月 03日
![]() 乙姫さんの日記に、中国の食品の危険性について、 紹介されていたので、 こちらでもそのHPをご紹介。 なかなか凄まじいです。 以前、東京大学で行われた、水の世紀の著者による講義では、 貧しい国に募金することよりも、まず、正しい知識を提供することが必要とのことでしたが、 知識がある中国や米国でも、危険な食品が出回る時代においては、 幼い頃から生きることについて、教えてあげられる授業があるといいのに、と、 東洋哲学や心理学など、もっと普通に触れられる機会があればいいのにと思いますね。 ▲
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| 2006-05-03 13:10
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2006年 03月 29日
星空好き、コミュニティのトピックより転載。
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| 2006-03-29 07:31
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2005年 09月 08日
中野区、杉並区が、台風で浸水がすごかったと聞くけれど、お友達は大丈夫かな、と思いました。
住んでいても大丈夫という人もいたみたいだし、場所によっても違うのかもしれません。 ヨガセラピストでありながら元理科の先生から、台風について説明いただいたので、ここにもメモ。 台風の名前 ハリケーンと台風について 名前の付け方。 昨日の夕焼け。 ![]() ▲
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| 2005-09-08 00:07
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2005年 07月 03日
![]() 荒川近辺を2時間半くらい歩いて。 川に行くまでの道にある貯水池。 ![]() 流れている水辺でないためか、くぼんだ部分に貯まっている水はわりと異臭がしています。 あぶないので入らないように、という貼り紙がありましたが、子供達はかまわず入っていました。 ![]() 水辺から遠く離れた帰り道、広い道の真ん中に亀さんが。 真ん中にいてはローラーブレートの人と衝突してしまうかもしれないと思って、水辺川の草原に移動。乾いて疲れ果てているかもしれないと思って、持っていたペットボトルのお水をかけて、近くに小さな水たまりを作りました。 一晩で池に戻れると良いですね。 ▲
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| 2005-07-03 09:01
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2005年 06月 29日
昨日の夕方、埼玉県では突然激しい雨が降って、雷が鳴っていました。昨日はいろんなところから暑いですね、という言葉を聞いた気がしますが、気温はすでに35℃だったのですね。
各地で(特に西日本)雨が降らず、水不足の傾向にあると聞きます。 中でも九州の方はまったく降っていなくて、ダムがひび割れして干からびているとか。 水不足になると、節水で、水道のバルブにも影響が出るのかとか、水が必要な医療がどうなるのか、といった声も。 最近、環境に関わるお友達が、雨が降らないことを気にかけているようで、そういう日記は拝見していましたが、思い返してみると、岐阜にいた頃も、雨があまり降らないためか、いつも大量の水が流れている川の水量がずいぶんと少なかったり、 滝であるはずの場所が、滝でなくなっているのを見かけたことがありました。当時からすでに雨が降らない傾向にあったのかもしれません。 水不足というと、数年前、夢を研究する博士に紹介された、96年頃の日本の映画、水の中の八月を思い出します。 夏の博多が舞台で、人々が祈りを忘れたことで、水不足が起こり、石化病が流行るというストーリー。自然とシンクロする水泳をする少女がいて、大会で、無理に集められたプールの水に飛び込んだとき、それがまるで石のように感じられ、臨死体験をして、それから神秘的な能力が備わって、水不足の原因などがわかって、最後、インド神話や占星学での方向性にそう形で、儀式的なものによって、生命と引き替えに、雨が降り、干ばつが終わる、みたいな内容。 小嶺麗奈さんという方が演じていたと記憶しています。 ひとつの作品ですが、紹介していただいた時は、世の流れと、天変地異などの関係性を描写している内容なのだな、という印象を持ちました。 A先生によれば、スマトラ沖地震も、宇宙での大きな爆発が関係しているとのこと。一秒に太陽の十億光年分?(詳しく覚えていないですが)のエネルギーだとか。 その規模が若干変わっただけで、スマトラだけではなかったかもしれないというお話でした。 チベットでは、神々に捧げるお水や灯明に関して、次のような意味合いがあるのだそうです。 「水は、心が乾いていて暖かさがないから、心をぬらして慈悲を起こす。灯明は暗闇をなくす。この二つは、菩提心と智慧を考えるためにある」 夏至には、各地でキャンドルナイトが呼びかけられていたり、世田谷区では、川原の地下水を止めない署名運動が行われていましたが、水に対する、心を内側に向けた、またべつの角度からの視点を人々が持つことで、環境も変わってくるのかもしれないな、と思ったりしました。 ![]() ▲
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| 2005-06-29 01:39
| 地球環境。
2005年 05月 16日
life in the world.
100人の村、にまつわる記事にトラックバックします。 先日、もしも世界が100人の村だったら、を見ています、との連絡。 発展途上国の子供達の苦しみを見ていたら、涙が止まりません、と。 わたしも、同じ内容かどうかわからないけれど、以前、合宿でビデオを見たことがあって、その中では、絶えず戦争の中で生きる少年兵の男の子や、絨毯を織り続ける女の子、一生涯ゴムの林で働く子供達、家庭内虐待から逃れ、マンホールで暮らすストリートチルドレンの子供達、など、たくさんの同じ地球に住む、子供達が紹介されていました。 わたしたちは、苦しみの定義を、違った観念でとらえてしまっているのかもしれない、と母上。 比較によって決められるものではないけれど、わたしたちに、一生涯続く苦しみがあるかと考えたら、確かにいつかは変化することだったり。 小さい頃、とっても大変なシチュエーションや、何か量をこなさなければ行けないとき、期間を過ごすとき、時は過ぎるから、このひとつひとつの積み重ねも総量で、幻影なのだと思ったとき、それがつらくないことだと思えたことがありました。 出口王ニ三郎が、不自由を常と思えば不足なし、という言葉を残していると聞くけれど、 不自由とは、もともと心がつくりだしているものなのかもしれません。 そのトリックに、多くの人が気づいたら、地球はもっと変わってくるのかもしれないですね。 ▲
by ami-cosmo
| 2005-05-16 03:21
| 地球環境。
2004年 12月 05日
息をのむような透き通る水、日光のような澄んだ空気、人の手が加えられていない森。。 朝、「猿が来てるよ!」とemtさん。 oさんの餌付けが見事成功。再び餌を撒いておきました。 ![]() 途中、縄文時代の遺跡などを発掘して、建物などを再現している公園がありました。 藁の屋根のお家に入ると、「わたし、こういうの違和感ない。」と、お姉様。 はい、誰よりもこういう古典的世界がお似合いでいらっしゃいます。 どちらかと言えば、お姉様は弥生時代や平安時代で、 わたしは縄文時代や江戸時代かな。 はにわは見ることができませんでしたが、縄文土器や棺、石などが展示されていました。 そういえばわたし、小学校の頃、縄文土器を作ったことがあります。 校庭で、ものすごく大きな火が炊かれているところで、コンスタントに土器を裏返しながら焼きました。そしてその時火に近づいて、まつげが焦げたのです。 ジリジリっといって、あきらかに短くなったので、先生に、 「あの、まつげが焦げたんですけれど。。!」 と、緊急事態を申し出たのですが、 「大丈夫、すぐ伸びてくるから。」と言われました。 実際はかなり時間がかかった記憶があります。 粘土で土器を作るのは、すごく有意義な作業でした。 わたしは幼い頃から絵や工作、美術が好きだったんですね。 ![]() その後、渓谷を目指して出発、したけれど、道に迷って粥川谷へ。 幸運にも、ここはかなりの名所で、日光に行った時のような澄んだ空気と、自然が作り出したプールのような透き通ったスカイブルーの水に、みんなで思わず息をのみました。 所々に水汲み場があって、大きなタンクで汲みに来ている人もいました。 本当に神の水、そのものという印象です。 ![]() 山は芳しい香りを放っていて、どこまでも続くなだらかな道を、いつの間にか吸い込まれるように歩いていました。 ▲
by ami-cosmo
| 2004-12-05 09:12
| 地球環境。
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